近年、生成AIは日ごとに目覚ましい進化を遂げています。生成AIというと、その「利便性」と「危険性」の両方が注目されますが、珀也さんは「作文のコンクールに生成AIを使用することの是非」について鋭く切り込んでいます。
作文や論文に生成AIを用いることに関しては日々さまざまな意見が交わされていますが、創作物でAIの力を借りることに関しては「否」とする向きが強いように思います。人間も成長の中で周囲の人々から知見を得たり、学問を通して学習することで知識を増やし、それを出力しているわけですから、生成AIと辿っている道は同じといえるかもしれません。
しかし、珀也さんは「感情のこもっていない作文を生成AIで作ること自体が無意味なのでは」と考えています。生成AIの作る文は、あくまで絶対数の多い意見をつないだものであり、少数意見は含まれていないのでは、という疑念を抱いたからです。感情の有無は、人間と生成AIの最も大きな特徴の違いだといえます。
珀也さんは作品の中で、作文をAIで生成する人の気持ちを想像し、多角的に論じています。この豊かな想像力が作品上に顕現していることこそが、生身の人間が書く作文の醍醐味であると思います。今後も生成AIはさらなる進化を遂げ、まだ見ぬ境地へ辿り着く可能性を秘めています。
そのとき、生成AIと私たち人間はどのような関係になっているでしょうか。今後も珀也さんの鋭い目線で、生成AIの進化を注視していってください。
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